ゴジラ対ヘドラ
海洋汚染が進む駿河湾の河口でオタマジャクシに似た奇妙な生物が見つかる。漁師の吾平からそのことを知った海洋生物学者の矢野は息子の健と共に調査 へ出かけるが、矢野は海底で謎の生物に襲われて顔面に重傷を負い、健も海岸から飛び出した巨大なオタマジャクシのに襲われる。幸い健はナイフで戦い怪我は 無かった。それ以来、海では原因不明のタンカー事故が相次いで発生するのだった。ゴジラが大好きな健は、ヘドロだらけの海を見たらゴジラも怒るだろうな、 と考える。そんな汚れた海から産まれた怪獣ということで、謎の生物は「ヘドラ」と命名された。そしてある夜、工場の排煙を求めてヘドラが上陸してくる。 ゴーゴー喫茶で踊っていた行夫とミキはヘドラに遭遇するが、そこへゴジラが出現。二頭は激しい戦闘を繰り広げるが決着は付かずに終わる。そしてヘドラは更 に進化して、真昼間に飛行し始めた。その際、街に硫酸ミストを撒き散らして気分が悪くなる人やヘドロをかけられ白骨化して死ぬ人が続出する。矢野は散ら ばっていたヘドラの細胞から、隕石について地球に飛来した鉱物で出来ている生物とつきとめる。そして高圧電流で乾燥させる事がへドラの弱点だと解明し、自 衛隊に電話して大至急で300万ボルトの電流を流す電極版を作り始めた。その頃、ゴジラはへドラを追撃する為、富士山麓へ向かっていた。・・・
1971年 日本 Godzilla vs Hedorah、Godzilla vs. the Smog Monster 監督:坂野義光 製作:田中友幸 脚本:馬淵薫 坂野義光 特殊技術:中野昭慶 撮影:真野田陽一 音楽:眞鍋理一郎 主題歌:麻里圭子 with ハニー・ナイツ & ムーンドロップス『かえせ!太陽を』 出演:山内明(矢野徹) 木村俊恵(矢野敏江) 川瀬裕之(矢野健) 柴本俊夫=柴俊夫(毛内行夫) 麻里圭子(富 士宮ミキ) 吉田義夫(伍平爺さん) 鈴木治夫(自衛隊幹部将校) 勝部義夫(自衛隊技術将校) 岡部進(アナウンサーA) ★★★★
当 時の社会問題、光化学スモッグや海のヘドロ汚染を取り上げた、貴重なゴジラ通算11作目。当時ゴジラは正義のヒーローとして偶像化されていましたが、それ に社会問題をくっつけたアイデアは素晴らしいですね。観客である子供に公害の恐怖を植えつけるかっこうの映画でした。そういうオイラもその口で劇場公開時 に子供ながら公害はイカン、、生物を死滅させると感じたものです。へドラの造詣もいかにも気持ち悪く作ってありますし、顔の半分がただれた特殊撮影や白骨 化した死体も登場していますので、子供にとっての恐怖演出は抜群でした。また今回見直したら、ゴーゴー喫茶とか富士山麓で踊りまくろうとか、若者の文化も 取り入れていたのですね。監督の坂野義光さんは、ゴジラを丸くして飛ばせる事で製作の田中友幸さんと対立したとか。田中友幸さんは、ゴジラの生みの親なの に彼が入院している間に、東宝の幹部を説得、そして作っちゃった。以後、田中さんの逆鱗に触れた為干されたとか。でも、この監督の先進的なアイデアはオイ ラは買いますね。彼をこの後、使っていたら、また違うゴジラ・シリーズになったかもしれませんね。但し子供路線ははずしてしまうかもしれませんがね。
以下Wikipediaより引用
ゴジラの演技者は中島春雄。「怪獣大戦争」と「怪獣総進撃」で作られたゴジラを流用している。7年越しの登場となる「大戦争ゴジ ラ」は、プール撮影や港に上陸するシーンなどで使われたが、富士山麓でヘドロまみれになるシーンで修復不可能なダメージを受け、以後の映画には登場してい ない。メインで使われた「総進撃ゴジラ」は、次作「対ガイガン」まで使いまわされている。公害怪獣ヘドラの「陸・海・空」三態のデザインはすべて井上泰幸 による。この年をもって利光貞三や八木寛寿、八木康栄ら主要スタッフが退職し、代わって造形チーフを引き継いだ安丸信行が製作。演技者は中山剣吾。ラテッ クス製の発泡ウレタン(フォームラバー)で作られている。坂野監督は敵役ヘドラの造形に関し、自ら脚本にト書きを入れるほどのこだわり(ヘドラの目玉につ いて脚本に「女性器のような」という記述を加えるなど)を見せ、飛行態などのデザインにも積極的に関わっている。撮影初日にはヘドラの体に毒々しい色彩を 加えようと思いつき、自ら塗装を始め、ついにはこの作業に一日を費やしてしまった。今作ではヘドラを演じ、後にゴジラのスーツアクターを務めることになる 薩摩剣八郎(当時は中山剣吾名義)によると、この重ね塗りした塗料の重みで、ヘドラの着ぐるみ(ぬいぐるみ)は非常に動きづらかったそうである。水槽内で 泳ぐオタマジャクシ状の幼体ヘドラは、ドジョウにコンドームを被せてメイクを施したもので、水槽に電気を通して動きを撮った。陸上ヘドラの頭頂部にはひび 割れがあるが、公開当時は「怒ると脳味噌がはみ出てくる」と説明されていた。